母はこの数年、自立型ケアハウスに入所していました。

77歳の時に、自分の老後の頼みにしていた
次女が急逝してしまい
母は、どんどん孤独になっていきました。

ある冬の日、雪道ですべって転び、頭も打ったようです。
おかしな言動が多くなっていったのですが
一時的なものだったかもしれません。

でも、何となく、以前の母とは違ってきました。

体調を崩せば、夜中でも弟夫婦が呼ばれることになります。

60代の頃に患った、心筋梗塞や糖尿病などの
健康不安を抱えていたこともあって
母の年金に見合った料金の、自立型ケアハウスに入居を決めたのでした。

若い頃から、金銭的にルーズなところがあって
経費を差し引いた、お小遣いの金額が足りない…と、
弟夫婦は、苦労することが多かったです。

もちろん、私にもSOSは来るのですが
年金生活のわが家には、母に送金することは
自分たちの首を絞めることになります。

衣・食・住が心配なく、数万円のお小遣いを渡しても
ものの1週間で、使い切ってしまうのです。
見栄っ張りな母でしたから、隣りにあるコンビニで
日に何度も買い物しては、他の入所者の人にも、振る舞っていたのでしょう。

最終的な死因は「急性肺炎」でした。

少しずつ進行する老化現象に、特養ホームへの転居となった今年3月。

まるで、結婚式場のような、ゴージャスな造りのホームでした。
コロナの自粛期間と重なり、誰も面会に行けない。
いきなり、知らない所へ連れてこられた母のストレスは
「たこつぼ心筋症」という症状となって、緊急入院となったのです。

2週間もしたら、退院…と、知らされていた家族だったけど
ここで、「誤嚥性肺炎」になってしまうのです。

入院からちょうど1ヶ月…最後まで、意識のあるまま
苦しい中で、息を引き取りました。

弟夫婦が、「もうすぐ、お姉ちゃんが来るから!今、向かっているから!」
そう、手を握り、励ますと、涙がスーっと流れたそうです。

器械のアラームが鳴ると同時に、苦しそうな険しい顔が
フッと、柔和になった直後、静かに逝ったそうです。

解放されて、安心したような、良い顔をしていました。

☆★☆★☆★☆★

葬儀は、「小さなお葬式」と決めていたし
弟夫婦と私たち夫婦の4人で、お花だけはいっぱいにして
見送ることができました。

火葬場で母が、いよいよ炉に吸い込まれていく時
59歳の弟が、泣きじゃくりました。
4歳上の私は、お姉ちゃんだから、泣きません。
「お母ちゃん、お母ちゃん…」と、呼びながら、弟の背中を撫でていました。

お骨は、少ししかなかったです。
でも、夢中で拾いました。
後で、手首に火傷の跡が、数ヶ所あったほど…。

小雨の中、白い骨箱を抱える弟の後ろに
喉仏の入った、小さな骨箱を持つ私が、付いていきます。

故郷を離れて生活する者の宿命で
身内の最期に立ち会うことは、諦めなくてはいけないのです。

今回こそ、母は待っていてくれるか…と、思ったけど
半日、足りなかったです。

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弟が生まれた産院で、家族5人の写真。(左が私4歳)


両親の生き方には、理解できないものが、たくさんあったし
この親に振り回されてきた3人の子供にとって
「黒歴史」と言ってもいいほどの、筆舌に尽くしがたい親との時間でした。

母の僅かな荷物を乗せた、軽トラックを見送った姉弟は
思わず、拍手で「終わった…」と、安堵したのでした。




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